FIRE

FIRE物語③:突然の入院。ガン宣告!?

kiramarine

再び経営企画へ

少し時間は戻るが、2020年6月。
私は人事から経営企画へ戻ることになった。
経営企画が退職が多すぎて回らなくなったらしい。
大丈夫かな・・・?また倒れないかな?
得意分野ではあれど、不安はよぎる。

しかし朗報もある。
前回のPEファンドと比べて、もうちょっと人間扱いしてくれそうなこと。
全社的にコンプラ改革が進んできていて、過重労働が制限されてきたこと。
そして、紙を印刷する文化がなくなりデータでよくなったこと。余計な資料は作らなくなった。
これはイケるかも!?

予算策定時期にジョインしたので、当然予算の策定業務が降ってくる。
作る資料の量は減ったけど、それでも残業は100時間くらい。
なんとか予算策定をクリア。

その後もいろいろ続く。
経営企画というのは、いろいろある。

今回は、特命業務が結構大変だった。
いわゆるM&A絡みの交渉とか。
明らかにこちらが悪いのに、行政と補助金交渉するとか。

2021年6月。
そんなこんなでバタバタしながら、毎年恒例の予算策定時期がやってくる。

原因不明の異常が発生

激務をこなしていく中、だんだん体に異常が。
ペットボトルが開けられない。
足首がうまく曲がらなくてしゃがめない。

あれ?

激務でなかなか病院行く時間が取れない。
どんどん手足が動かなくなってくるぞ。
なんか、手足がどんどん膨らんでくるぞ。

なんだこれは!?

2021年7月。
町医者に行った。原因不明。
大学病院への紹介状を書いてもらう。

大学病院で診てもらう。総合内科を受診。
CT取ったり、MRI取ったり。

それでも原因不明。
一旦様子見だって。

それでいいの?

いきなり入院

その間にもどんどん手足は膨らむ。
一応、仕事は継続している。
でも歩くのも難しくなってきたから、ほぼ在宅での仕事。

足首の関節がパンパンになってて、自力で立ち上がれない。
手の指の関節もパンパンで、思い通りにパソコンのキーが押せない。
予算策定時期。仕事は忙しい。

めっちゃきつい。

2021年8月末。
総合内科から、神経内科に担当科が変わる。
神経内科の先生が診察したら、すぐこう言われた。

「今日から入院できますか?」

「へ?」

原因はわからないけど、大変なことになっている可能性があります、だって。
会社にも、家族にも了解とってないけど、二つ返事で入院承諾。
職場に連絡し、家族にも連絡した。
妻はもちろんOKだった。
最長2週間の検査入院をすることに。

ガンかも!?

入院中は、手足に電極つけて電流を流されたり、
脊髄に針突っ込んで髄液取られたり、なんだかんだいろいろやった。

しんどかった。
手足に粘液付けて、機械でなぞって状態を見るような検査もあった。
もちろんCTやMRIは何回もやった。

入院の途中、妻が呼ばれて、一緒に医者から説明を受けた。
「まだ原因は特定できてませんが、もしかしたら骨髄腫や悪性リンパ腫の可能性があります」と言われた。
ショック。人生終わった。

まだまだ検査は続く。
がんセンターに行った。そこで全身の検査。
妻と一緒に行った。
3時間くらいかかった。妻は待っている間ずっと泣いていたらしい。

この検査入院の時期、私は遺書を書いていた。
子どもたちに伝えたいことがまだまだ山ほどある。
それをすこしずつまとめていた。

自画自賛してしまうが、とてもよい内容なので、もっと内容を拡充して書籍にしたい。
(このサイトの教育カテゴリは、この遺書の内容も含んでいる。)

そんなこんなしながら2週間経過。
やっと病名がわかった。
先生が海外の文献で調べて、やっとわかったらしい。

病名は「好酸球性筋膜炎」

聞いたことないな。

でも、ガンじゃなかった!
ホッとした。

日本でも100症例も無い病気らしい。

自己免疫が乱れて、筋膜に炎症を起こす。
すると筋膜が固まるから、筋肉が動かなくなる。
筋肉がソーセージの皮で包まれたようなイメージ。

そして、そのまま放っておくと、筋肉が繊維化してしまうんだって。
筋肉が、硬いままのパスタみたいになってしまうから、
無理矢理動かしたら筋肉が折れちゃうんだって。

ようやく治療へ

だいぶ進行してるけど、やっと診断がついたから治療に入れる。
自分の免疫が異常を来たしてるので、免疫を抑えるためにステロイドを服薬。

そして、浮腫みを取るにはリンパを流すのが良く、
そのために水分をたくさん取り有酸素運動を行う。

さらに筋肉を動かすための筋トレをする。
手足のリハビリもする。

今後のToDoが決まった。

治療開始

検査入院は、9月半ばで一旦終わり。一時的に家に戻る。
翌日改めて入院開始。

全然歩けないし、手もあんまり動かない。結構やばい状況だね。どん底にいる。
だけど、どん底なんだから、これから頑張って上がるしかない
やることもシンプルじゃないか。

こういう状況、私は結構楽しめるタイプ。
レベル1からスタート。
やればやるほどレベルは上がる。まさにドラクエ。

そもそも私、身長176㎝。体重は75㎏くらいだった。
身体がどんどんむくみだして、入院時には体重98㎏になってしまっていた。
自分でもびっくりだった。

運動したい。
軽い運動として、まずは歩きたい。
でもまだコロナ禍だったので、外には行けない。

だから、病院の非常階段を貸してもらった。
非常階段は、地下1階から5階まである。
はじめは、1日1往復するのが精いっぱい。

理学療法士のリハビリ。
リハビリルームのベッドに寝かされて、足を曲げられたり伸ばされたり。

作業療法士のリハビリ。

積み木を手で動かしたり、クルミを手で回したり。
作業療法士の先生に、クルミを2つもらった。
ベッドでもクルミを使って手でクルクルすると、
いいリハビリになるということで。

病院食は当然、味が薄いし少ない。
でも栄養バランスはいいはず。
他の間食は一切しない。
増えた体重落としたいし。

ステロイドの副作用と大量の薬

ステロイドは毎日60ミリ飲む。
ステロイドは免役の働きを抑える効果がある。
免役の働きを抑えるということは、外部からの雑菌に罹りやすくなるということでもある。
看護師さんが言うには、1日30ミリ以下の服用にならないと、外に行ったら危ないらしい。

ステロイドの副作用として、覚醒作用がある。
かなりキツイ量を飲んでいるので、夜眠れない…。
睡眠薬も処方してもらう。

ステロイドは強い薬なので、その他の副作用も多い。
そのため、副作用対策の薬もたくさん飲む。
胃を傷めないように、胃薬も。
骨が弱くなるので、骨粗鬆症の薬も。
感染症に弱くなるので、感染症対策の薬も。

毎晩20時には、家族にLINE電話。
子どもたちの今日一日の想い出を聞いて、
よかったね、がんばったね、たのしかったね、とエールを送る。

また、珍しい病気だからということで、
私の病室に研修医がワラワラとたくさんやってくる。

たくさん触られる。写真取られる。
まさにモルモット状態。

入院から1週間

そんな入院生活も一週間が過ぎ・・・

非常階段は、入院当初は1日1往復が精いっぱいだったが、
1週間経った頃には1日10往復できるようになった。

非常階段を使うのは、医師や看護師などの病院関係者ばかり。
毎日、汗だくの患者が歩いていると、みんな応援してくれた。

理学療法士のリハビリは、だんだん強度が上がっていった。
エアロバイクがメインになってきた。

作業療法士のリハビリは、積み木のテストで合格したら、卒業になった。
あとは、自分でクルミでトレーニングして、ということで。

ステロイドは相変わらず60ミリ飲み続ける。
眠れない状態が続く。

体重は98㎏からどんどん減り、90㎏になった。

毎晩20時には、毎日家族にLINE電話。
子どもたちもたくましくなってきた。
入院した当時は、ずっと泣いてたというのに。

入院から2週間経過

そんな入院生活も2週間が過ぎ・・・

非常階段は、1日20往復に増えた。
歩くだけじゃなくて、時折、駆け上る動作も加えた。
階段の最上部と最下部では、腕立てとスクワットも加えた。

理学療法士のリハビリでは、
「最初に見たときは、全回復は無理かなーと正直思ってました。」と言われた。
そんなひどかったのか。

体重は84kgになった。
だいぶ元通りになってきた。

そして退院

そして、退院許可が出た。

先生は1ヶ月くらいかかるだろうという見込みだったみたいだけど、
2週間ちょいで退院することに。
娘(もみじ)の誕生日が10/8なので外泊させてほしいと伝えていたら、
その日に合わせて退院ということになった。
もみじの誕生日を一緒に祝えるのがうれしい。

あんなに運動してる患者は見たことないと言われた。
そういうものなのか。

看護師さんたちにも言われた。
だいたいみんな、リハビリやらないでサボって寝てるばっかりなのよ。
あんなに頑張る人初めて見た、ですって。

なにはともあれ、無事退院。
ドラクエで言えば、レベル1がレベル7くらいになった気分。
町の外の弱いモンスターとなら戦えるくらいにはなったろう。

さあ、退院だ。
ステロイドは50ミリに減ったとはいえ、まだまだ外部に接してはいけない摂取量だ。
気を付けねば。

家族との再会

久しぶりに外を歩く。
公園の木々、太陽の光、鳥の声。
全てが美しい。
世の中ってこんなに美しいのかと感動。

これは、退院直後じゃないと味わえない感動だ。
言葉にできない。
当たり前の景色のようだが、決して当たり前じゃないんだと。
この感動は決して忘れないようにしたい。

これからも、2週間おきに通院して経過観察と服薬調整は発生するが、
社会復帰は叶った。
退院日の翌日から仕事開始。
有給はかなり使ったが、有給の範囲内で収まった。
(だって有休使うヒマがないから余りまくってるんですもん。)

退院は午前10時。
妻は仕事だし、娘たちはこども園に行っている。
私はひっそりと家に帰った。
ソファに座ってみる。

ふぅ・・・。

やっぱり落ち着く。我が家はいい。
建てたばかりの新築だったのに、
まさか入院して不在にすることになるとは。

夕方になり、妻と娘たちが帰宅。

感動の再会。
全員涙涙。抱きつく。

みんな、よくがんばったね。

仕事復帰

退院、家族との涙の再会をしたその翌日。
仕事復帰。

上司である経営企画の常務にあいさつ。
ご迷惑おかけしました。

強めのステロイドを飲んでいるので、感染症が心配。
だから出社するときは、早朝5時くらいの電車。極力人を避ける。

帰るときも、16時とか。
帰宅ラッシュは避けた。

そして、できるだけ在宅勤務をするようにした。

2週間ごとに病院で検査。
血液検査をして、結果が良ければステロイドの量が減る。

順調に減っていった。
50ミリ→40ミリ→30ミリ→20ミリ。

入院していた2021年は、相場の停滞期。
コロナ禍で世界中でマネーサプライを増やしたので、
インフレが大変なことになっていた。
株価も低迷。全然上がらない。

私はS&P500を中心にしているので、
アメリカのインフレ率上昇やそれを抑えるための政策金利の上昇を、
指をくわえて見ていた。

辛抱辛抱、ただ辛抱。
Just Keep Buying

2022年4月

月日は流れ、2022年4月。
もみじは小学1年生。このはは年中さん。

大きくなったなあ。

病院での検査だが、今までは2週間ごとだったが、
1ヶ月ごとでよくなった。

ステロイドはさらに順調に減り続ける。
20ミリ→15ミリ→10ミリ→7.5ミリ→5ミリ。

2023年4月

さらに月日は流れ、2023年4月。
もみじは小学2年生。このはは年長さん。

親は変わらない(むしろ衰えていく)のに、子どもはどんどん成長してくる。
子どもの成長を一緒に見ていけるっていうのは本当に幸せなことだと実感。

病院へ行き、血液検査をし、問題ないと判断されるたび、
ステロイドはどんどん減ってくる。

4ミリ→3ミリ→2ミリ→1ミリ。
そして、とうとうステロイドがゼロになった。
代わりに、リウマチの薬を処方されるようになった。

ステロイドはリスクが伴うけど、
こっちのリウマチの薬は使用実績もかなり多く、効果は信用できるものらしい。

そして通院頻度も、1か月に1回から2か月に1回へ。

私は相変わらず経営企画業務をやっているが、
2023年の夏に子会社の経営管理担当が退職し、
子会社の管理が崩壊しかかってたので、そちらを見ることになった。

また株主交代

2024年1月。
PEファンドの入っている会社の宿命のようなもので、また株主が変更になった。

私は経営企画なので、当然そのプロセスを見てきたし、
いかに会社を高く売ろうかという、前株主の事業計画作成にも付き合わされた。
そんなに利益は出るはずがないのに、
この利益を達成できるように事業計画を作れという。

そういうマネーゲームに関わるのはうんざりだと思いながらも、
致し方なしというのがサラリーマンの悲哀。

退院してから約2年半後の出来事である。

株主たるファンドが変わったら、いつものごとく役員が順番に交代していく。
私がお世話になった経営企画担当常務も、その流れで退職になっていった。

そんな中、2024年5月。
人事担当役員に呼ばれる。

なんだろう?

かいつまむと、
「きらまりんさんも外に出てはどうだろう?今なら特別退職金を用意しよう」
ってことを言われた。

え?オレも?役員じゃないのに?

「家族と相談します」と、その場は答えた。

しかし、腹は決まっていた。
残留したところで、評価をとことん下げられて、
結局退職に追い込まれるだろうなあ。

帰って妻に相談。
子どもたちが寝静まった後、庭でお茶しながら。

「そんなとこやめちゃえば? 働かなくてもいいじゃん」

こういうときの妻の言葉は、神の言葉に聞こえる。

この段階でFIREかぁ。

特別退職金含めても、フルFIREはまだ無理そうだなあ。
ヨメまりんが働けば、なんとかいけるかもしれない。

それでもいいと、ヨメまりんは言う。
「私は保育士の仕事好きだから続けたいし」

それはとてもいいことだ。
意地悪な同僚保育士もいたり、厄介な保護者がいて、
苦しんでる場面も見かけるけど、それでも子どもが好きで、
仕事が好きというなら何よりだ。

ただ私としては、妻が働いてこそ達成できるFIREではなく、
妻もいつでもやめていいんだよ、という状況を作った上で、
好きな仕事をしていてもらいたい

もう48歳だし、
なかなか次の先も難しいかもしれないけど、
就活がんばってみるか。

翌日、退職の意向を人事担当役員に伝える。
特別退職金の書類だの、秘密保持だのの書類に次々とサインする。

あれは2024年5月末頃、日差しがまぶしい初夏だった。

引継ぎもして、最終出社は2024年6月末頃を計画。
でも有休使うから、8月末頃までは給料もらえる。

2017年から7年間在籍した会社だが、さようなら。
正直言うと、長い間お世話になったとは思わなかった。
ずーっと理不尽さを抱えながら身を削ってやってきたという感想。

株主はマネーゲームしかしていない。
役員陣はファンドの顔色ばかりを見て、
会社や現場の従業員、お客さんを見ていない。

私は保育の現場も介護の現場も大好きだ。
意地悪な職員もいるけど、
本当に子どもや入居者のために働いている天使みたいな人たちも大勢いる。
そういう人達が、もっと幸せになれるような手助けをしたい。

嫌だと思いながらも、
転職は難しそうだ、家族抱えてるんだから我慢だ、そう思って続けてきた。
それが本音だな。

そんなことを最後に思う私は、
感謝を知らない愚か者なんだろうか。

さて、特別退職金をもらい、会社を辞めることにした私48歳。
これから転職活動。さてうまくいくか。
家族のためにも、頑張るしかない。

就活開始

5月末に退職を決めた。最終出社は6月下旬。
引継ぎ期間は結構ヒマなので、職務経歴書を書いてみる。結構大変だ。

いろいろな転職サイトに登録。
すると、いろんなエージェントから連絡が来る。
それこそ山ほど来る。
こんなおっさんなのに。それに驚いた。
まあ、彼らにとっては転職者とつながるのは、商品仕入れみたいなもんだしね。
ある程度はカネになるかも?と思われてるとしたら、市場価値あるってことかも。

エージェントは私の職務経歴書を読み込む。
その上で、彼らがわかりにくいところがあれば質問される。
なるほど、このへんがわかりにくいんだな、と私も理解する。
そして、彼らからアドバイスももらう。それも取り入れて、職務経歴書を修正する。
それを繰り返していった。

エージェントが持ってきた案件にエントリーする。
その他、いろんな募集が出ている求人にエントリーしてみる。

結果、9割落ちる。面接に進めない。
ガーン。
はじめはショックだったが、だんだん落とされ慣れてくる。

そんな中、たまに書類選考が通り、面接がある。
ほとんどがリモートでの面接だったので、上半身だけスーツを着る。
たまに都内に出かけて面接を受けた。

数打ちゃ当たる、ということでエントリーしてるので、
何にも志望動機がないところにも応募する。
すると、たまにそんな会社の書類選考に受かり、面接に進んだりする。
こっちが応募しておいて申し訳ないんだけど、こういうのが困るなあ。
そんなときは、面接の予定を後ろに引き延ばして、
志望動機のあるところを優先する作戦を展開。

だいぶ端折るが、そんなこんなで7月末には就職が決まった。8月半ばから就業開始。
6月頭から就活を始めたのに、2か月で決まるとは。しかも3社決まった。
48歳のおじさん、こんなに早く決まるもんなの?

いろいろ工夫ポイントはあったんだけど、
48歳で活動2か月で3社決まった就活にニーズありそなら、
別途記事にしようかなと思案中。

犬を飼う?

48歳のおっさんが就活をする。
そんな活動と並行して、「犬を飼う計画」が進んだ。

私の退職が決まって、就活は結構長引くだろうと思った妻が、
犬を飼うのを進めてきたことだった。
就活が長引いたら気が滅入っちゃうし、
一緒に過ごすトモダチがいた方がいいんじゃないの?ということで。

今までのペット遍歴

私は15歳のときに、犬を飼っていた。
妹が犬を欲しがって誕生日に買ってもらったのがきっかけ。
シェルティーの男の子だった。名前は「ラッキー」。

私に一番懐いた。私も大好きだった。毎日一緒に寝ていた。
私が30歳のときに、15歳で亡くなった。
私は自立して実家にはいなかったので、最期を看取ることはできなかったけど。

きらくんとまりんちゃん

その後、私が31歳のとき(2008年)に、NPOから子犬を譲り受けた。
ビーグルとチヌークのMIXだと思われる。
女の子で、名前は「まりん」と名付けた。
母親ごと捨てられていたらしい。
とても活発な女の子だった。

ただ、私は一人暮らしだったので、
まりんが一人で留守番が多くなるのはかわいそう。
だから、まりんと相性のよさそうな子を、
同じNPOの保護犬の中から探した。
まりんを連れて、お見合いをした。

3歳くらいのおとなしい男の子と相性がよさそうだったので、
この子をいただくことに。

この子には「きら」と命名した。
この子もMIX犬だった。
熊とポメラニアンの雑種みたいな感じ。

前にも書いたが、私「きらまりん」は、
このきらくんとまりんちゃんを合わせた名前。
この黒っぽいもふもふの姿は、きらくんの見た目に似せている。

私+犬2匹の中に妻が

私ときらくんとまりんちゃんで3人暮らしをしているときに、妻がやってきた。
2011年の夏だった。そんな3人暮らしの中に、よく入ってこれたなあと思う。

そして、2015年にもみじが生まれ、2017年にこのはが生まれた。

そして月日は過ぎ、2020年4月。
きらくんが虹の橋を渡っていった。
享年15歳(推定)。

さらに2021年2月。
まりんちゃんがきらくんの後を追って行った。
享年14歳。

きらくんは、息を引き取るまでしっかり看取ることができた。
でもまりんちゃんは、心臓の病気で夜中に突然亡くなり、
亡くなったことに朝気が付いた。
苦しかったろう、助けてほしかったろう。
でも私はのんきに寝ていた。
今でもずっと色あせることのない後悔として、私の心に深く刻まれている。

きらくんとまりんちゃんが愛おしすぎて。
まりんちゃんの最期の後悔が大きすぎて。
私は、また犬と一緒に暮らそうという選択肢をずっと持てなかった。

よし、飼おう

退職を決めたこのタイミングで、
妻から「犬を飼おう」という提案があった。

まりんちゃんが亡くなってから4年、
私も抵抗が薄くなっていた。

数日考えてから「飼おう」と決めた。

もみじとこのはにも納得してもらいたい。
妻と子ども2人を連れて、パフェレストランに行った。
子ども2人はパフェを食べれて喜ぶ。

その中で「犬を飼わない?」と切り出した。
「いいよ、可愛いし」とあっさりOK。

犬を飼うのには大変なこともたくさんあるけど、
今のこの子たちにはわからないだろうし。

これからうちの子たちはワンワンと一緒に育って、
一緒に笑って、一緒に泣いて、
ワンワンが老犬になって看取るところまで経験してほしい

余談だが、東京都が出している
「犬を飼うってステキです―――か?」は最高の読本。
何度読んでも涙が出る。

2024年6月末頃、
犬猫を保護しているNPOに連絡をし、面会の予約を入れる。
どのワンワンとご縁があるかわからないけど、名前をあらかじめ考えておく。
男の子だったら・・・
女の子だったら・・・

めい

そして、予約を入れていた7月7日、NPOに行く。
たくさんの保護犬の中から、とある女の子に決めた。

生後2か月の女の子。もふもふ。
多頭買いの飼い主が、たくさん生まれてしまい、
飼い切れなくなってNPOに助けを求めたらしい。
しかも、どの犬が親なのかもわからないような状態だったようだ。

毛色と毛並みからゴールデンレトリバーっぽいし、
顔立ちとおしりの感じがスピッツっぽいので、
ゴールデン×スピッツなんだろうということにした。

どうやら、4月後半~5月頭にかけて生まれたっぽいので「めい」と命名。
もちろんMayという意味がかかっている。メープルの色っていう意味も。

さて、就活に話を戻そう。
私は職務経歴書を書いているときも、
在宅でオンラインで面接を受けているときも、傍にはめいがいた。

子犬だし、やんちゃだし危ないし、
目が離せなかったが、それがよかった。

私は寂しくもなく、
落とされまくってもこの子がいるから励まされ、就活をクリアした。

この話の続き
FIRE物語④:役員就任。上場達成。そして・・・
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上場企業の役員。
FIREに向かって準備中。
絵本やエッセイ書いています。
家族・子ども・福祉に関する活動に残りの人生を使っていきたい。
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