FIRE

FIRE物語①:子ども誕生、激務の末休職へ

kiramarine

まずはじめに、私がFIREを考え始めたきっかけについて、書き記していこう。
この話は、私が結婚する時から始まる。

結婚、そして子ども誕生

私の妻は、今は保育士をしているが、
出会った当時はいろんな駅でよく見かける某大手の花屋の店長さんだった。
やり手の店長で、売上・利益の業績上位店舗にランクされ、
ごほうびにパリ旅行に行かせてもらったこともある。

私も妻の店でバイトしたことがある。
母の日シーズンは花屋はめちゃめちゃ忙しい。
ゴールデンウィークに私も最低時給で駆り出され、
バックヤードで鉢植えのアレンジを手伝ったりした。
(ちなみに、私はちゃんと接客できないだろうから、店頭には立つなと言われた。)

そんな妻とは2013年4月に入籍、2014年2月に結婚式を行った。
結婚式は、家族だけで実施した。披露宴は、ただの宴会のようだった。
外部のお客さんを呼ぶと両親はホスト側に回ってしまう。
でも私たちは両親に楽しんでもらいたかったので、両親をゲストにした。大成功だった。

そして、2015年10月に長女誕生。


さらに、順調に2017年4月に次女誕生・・・


・・・のはずだった。

妻の病気

2016年夏、妻が体調不良に陥る。
ずっと頭痛が続き、さらにはどんどん目が見えなくなってくる。
今までは産婦人科は民間のオシャレなところだった。長女はココで出産した。
良い病院なのだが、今回は妻が病気にかかったため、総合病院に転院することに。
産婦人科にも当然お世話になるが、メインは眼科になる。

そこで調べてもらったら、原田病という珍しい病気らしい。
妻の症状が示す通り、ずっと頭痛が続き、目がどんどん見えなくなってくる病気のようだ。
でも自己免疫の疾患だから、ステロイドで免疫の働きを抑えたら症状は回復するらしい。
ちょっと安心。眼科の女医さんは丁寧で熱心で信頼できそうな印象。

ステロイドを投与したら治る可能性が高い。
でもステロイドを使ったら胎児に影響が出る可能性がある。
妻は絶対にステロイドを使いたくないと言い張る。
私は「治療しないとあなたは眼が見えなくなるかもしれないんだよ、今回は子どもは諦めよう」と進めた。頑として彼女は効かなかった。
絶対に子どもを守ると。母の強い意志を感じた。

これは妻の意志を尊重せざるを得ないなと、私も納得した。
説得を諦めたという方が近いか。
でも目がほとんど見えず、頭痛で動けない妻。
1歳の長女の育児はできない。どうしよう。

肉親に頼ろうにも、私の親兄弟は遠方だし、
妻の両親は高齢だし…。

よし、私が育児をしよう。
休職しにくい環境だったこともあり、仕事を辞めようと決意した。
2016年の秋。

穏やかで幸せな日々

2017年1月、無事に退職。

生活は不安しかないけど。

なんとかするしかない、
なんとかなるさ。多分。

あまり順風満帆ではない人生なだけに、波乱万丈には慣れている。
こういうときは私は強いと自負している。

それからは、妻が育児できない代わりに私が担当。
毎日1歳の娘と遊ぶ。

毎日ごはんを食べてー

毎日お風呂に入れてー


とても穏やかで幸せな日々。
おかげで長女はパパっ子になった。

次女誕生

妻はなんとか、自分のことだけは自分でできる状態。
その間も、お腹の赤ちゃんはどんどん大きくなってくる。

そして・・・

2017年4月、めでたく次女このは誕生。
心配だったけど、五体満足で生まれてきてくれた。
ありがとう次女。ありがとう妻。

海辺の病院。朝5時。
朝の光がまぶしかった。あの光景は決して忘れない。


ちなみにそんな妻だが、
次女を無事に出産し、妻も体調が回復した後、
人生観が変わったということで、
保育士の資格を取るべく勉強を始めた。

育休中とはいえ、育児をしながら。

実家のヘルプがあるわけでもないのに。
すごいバイタリティだ。尊敬する。

私よりはるかに生命力が強い。

さて、妻が回復したので、私は転職活動をすることにした。

さあ、どうなるか。
うまくいくかな。

妻は赤ちゃん2人を抱え、病気から快復したばかり。
私がなんとか頑張るしかない。

転職した先は

転職活動を開始しようとしていたら。
前職の元役員から連絡あり。
私が詳しい業界があって、 その業界について教えてほしいと。

それで渋谷まで呼び出される。
その業界について、いろんな話をさせていただいた。

その時に、私の近況の話をした。
すると、「ぜひうちに来てくれないか」と、いきなりその方が誘ってくれた。

経営企画業務らしい。
やったことない業務だ。

それからしばらく考えたが、お受けすることにした。
新しいチャレンジだが、やるっきゃない。
子どもも産まれたばかりだし、年齢も年齢だ。
そんなにいい就職先はないかもしれない。

そう決めた2017年4月の終わり。
次女が生まれてから1ヶ月も経ってない。

その後、面接が2回あった。
半分は形式っぽい。

それを経て、2017年6月頭から出勤開始。

宝物の期間

前職を退職したのが2017年1月。
いわゆる「空白期間」は5ヶ月。

日本の職務経歴は、この5ヶ月の空白が問題になったりする。
でも私としては、幼い娘と過ごせたこの5か月間は、とても貴重な時間だった。

こんなことでも起こらなければ、決して経験することができなかった期間だろう。
多分、妻にとっても、娘にとっても、この期間は宝物の期間になったんじゃないかな。

その会社は、介護施設や保育所とか、その他いろいろたくさんやってる会社。
介護や保育の会社があり、その上にホールディングスという親会社がある。
私はホールディングスの経営企画室所属で、
そのうちの1つの会社を担当する部長ということらしい。
ちなみに経営企画室長は、私の前職の先輩の方がやっている。

この会社は、ハゲタカファンドが株主をやっている。
会社を安く買って、高く売ることを商売にしている。
高く売るためには、会社を成長させなきゃね。

このようなファンドが入ってきた場合、
通常はファンドが社長や役員陣を送り込んでくる。
いわゆる「プロ経営者」と言われるカテゴリの方々。

私の先輩はファンドから誘われた。
私はその先輩に誘われた、という流れ。

なんか、環境は複雑だけど、心機一転がんばる!

ホールディングスvs事業会社

さて、その会社で私はどのように過ごしていたか。
結構さんざんな目に合った。

ホントに。

例えば、ホールディングス側の役員たちは、外資系コンサルや投資銀行出身者が多い。
そして視座も高く、経営視点になる。
すると、ROEだのKPIだのといった横文字をたくさん使う。

一方で事業会社側はというと、もっと現場目線。
そしてプロパー社員が多い。
話す内容は、人が足りないとか、営業がんばれとか、お客さんの笑顔みたいな話になる。

同じ経営について話していても、視座の違いと言葉選びの違いで、
全然話がかみ合わない。理解しあえない。お互いにイライラがどんどん募っている。
たまに険悪になり、口論になる。

この2つは、混ぜるな危険。話にならない。
そこの間にうまく間に入らないといけないけど、どうしたって板挟みにあう。

重すぎるファイル

また、予算というか、経営計画が作成されているExcelファイルがある。
事業所ごとの予算・実績が全部入っている。
100以上の事業所があるので、100以上の損益計算書が入っている。
そして、それぞれの費目を構成する計算式があったり、そのバックデータがあったり・・・。

このファイルの容量が、なんと100MB。
当時のパソコンのスペックでは、ひとつ操作するたびに、40秒フリーズする。
そのファイルを確認しながら事業を紐解く日々・・・。

6000枚の印刷!?

そして依然と続く紙文化。
月2回ある経営会議には、各事業会社が膨大な予実管理資料を提出する。
1回の会議で、子会社各社とホールディングスの各部門合わせて資料が300枚くらいになる。

そして、役員や株主といった出席者が約20人。
それを出席者の人数分コピーする。

計算式を書くまでもないが、300枚×20人=6,000枚。
1回の会議でA4用紙6,000枚刷ることに。

朝9時からの会議であれば、徹夜は必須。
深夜2時くらいからコピー機を回し始めて、なんとか9時に間に合う…という感じ。

前日からコピー回せばいいじゃないかって?
資料が揃うのが前日の深夜になるんだもの。締め切りは前日の昼なのに。

しかも夜中に、いろんな事業会社から
「この資料を差し替えたい」というのが五月雨で飛んでくる。

残業100時間超え

300枚もの資料を深夜に編集。
各所から資料の差し替え依頼が飛んでくる。

そんなことをしてたら、編集を間違うこともある。

ミスがあった場合、我々が怒られることに。

経営会議は2時間。
その中で1社あたり報告と質疑合わせて20-30分。
徹夜でまとめ上げた6000枚の資料はほとんど読まれない。

その短い間にこんな膨大は資料が必要なはずもない。
もちろん出席者だって読んでない。
読めるはずもない。

でも誰も何も言わない。
たくさん資料出しました!(ドヤア)
というのが価値になっているような文化だった。

2017年9月。入社して3ヶ月。
バタバタ仕事をこなす。
月の残業は100時間を超えている。
3ヶ月連続100時間超え。

ああ・・・。
家族に会いたいな・・・。

残業170時間に

経営企画といえば、予算策定。
予算をどのように策定するか、それが今後1年間の事業の方向性を決める。

ということで、日常業務に加えて、予算策定業務が加わる。
はじめての予算策定業務。

これが想像以上にヘビーだった。
今までの業務にプラスして、5年分の経営計画を立てなきゃならない。

残業は170時間に。
週末無し。31日中、31日労働。
家に帰れるのは週に2日くらい。

朝は9時始業。夜は深夜2-3時くらいまでが基本。
ひどいときは、朝4時まで仕事して、オフィスで仮眠とって
翌朝(翌?)7時から稼働してたり、そんな毎日。

緑じゃなくて微妙な黄緑

労働時間の”量”だけじゃなく、”質”もひどかった。
「このグラフなんだけど、緑じゃなくて微妙な黄緑にしなきゃいけないの。直しといて。」

これで終電を逃す。もはや嫌がらせ。
グラフの色の微妙な違いが、何か経営の意思決定に関係するのだろうか。

使われない膨大な資料作成だったり。
経営の意思決定には到底関係しないであろうグラフの微妙な色の違いを直す作業だったり。
そんなことで延々と続く残業の日々。

なんとかそれに耐えた。
予算策定期間は約3ヶ月。

完了した。
ようやくこの地獄の日々も終わる。
また元に戻るんだ。

残業100時間しかない普通の日々に。
(残業100時間が普通なのかというのはさておき)

突然の社長交代と新体制での予算編成

それから半月が経過。
突然、社長の辞任・交代が発表された。

社長はファンドの人たちに従順じゃなかったから更迭されたんじゃないか。
そんな噂が飛び交う。

その数日後、新しい社長がやってくる。
そして、新社長の下で予算編成をやり直すことが発表された。

もうだめだ。
魂が抜けかけた。

ただ、前に組んだ予算を手直しする形で臨んだので、前回ほどは時間を要しなかった。
月120-130時間残業ですむ。
(月120-130時間の残業が少ないかどうかはさておき)

ただ、このあたりで既に私はかなり限界にきていたようだ。

いきなり休職に

あまりよく覚えていないけど、私はずっとふわふわしていた。
会社や環境に対して怒りを感じているわけでもなく、
逃げなきゃと思っているわけでもなく、
あまり感情が湧きおこらない状態。

あるとき妻が、子どものことで何か私に尋ねた。
私は何回聞き直しても、妻が言っている意味を理解できていなかったとのこと。

見かねた妻が、私を無理やり心療内科に連れていく。

心療内科の先生は、顔も体型もガマガエルみたいだった。
しかもずっと目をつぶりながら聞いている。
まさに冬眠してるカエルのようだった。

そんなことを思いながら、
私は心療内科でほとんど発言しなかった。
代わりに妻がとにかく医師にいろいろ訴えていた。

あっという間に診断がつき、適応障害で2か月の休職へ。

2018年2月、入社して8か月経った頃だった。
その診断結果を私は会社の人事に連絡した。
後の手続きはこっちでやるから、明日から出社しちゃだめだと言われる。
自分でもよく実感のないまま、休職になった。

休職する人を度々見てきたけど、
みんなこんな感じで休職するのかな?と思いを馳せる。
まだ現実味が無い。

休職になると、
当然ながら朝はゆっくり起きてもいいし、仕事も行かなくてもいい。
プレッシャーが無いのに、それなのに眠れない。

そういえば心療内科でもらった睡眠薬がある。
それを飲んでのんびり過ごす。
相当強い睡眠薬なんだろう。異常に眠れる。
妻が力強く起こしても全く起きない。
起こされたことにも気づかない。

3日経った。
めっちゃ元気!
また元の自分に戻った!ような気がした。

さて、実際はどうだろうか。

今更気づく

仕事のことは考えないようにしてきたけど、
回復してきた頃にいろいろ考えてみた。

やばい職場だ(今更!)。

でも家族のためには収入が必要。
でもあの職場でまたやっていけるのか。

きっとまた同じことが起こる。
いや、でも元気になればまた頑張れる。
そんな考えが逡巡。

我に返ると、やっぱり不安

そうこうしている間に1か月が経過。
もっともっと自分が健全に。

思えば、休職して3日くらいで元に戻った感覚があったけど、全然元に戻ってなかった。
その状態がまだまだ病んでいたんだと思えるレベルに回復。

休職中は無給。
有給は10日あったけどすぐに使い切る。
収入はないのに、社会保険料が載ってる給与明細が届く。
マイナスじゃん。ちょっと焦る。

妻は私に、焦らないようにといつも言う。
私も子どもとの時間を過ごすことができている。
一応、雇用が継続されていることが心の支えにはなっている。

それと、うちにはワンワンが2匹いる。
きらくんとまりんちゃん。
(私のペンネームの由来である。)

私が独身のときから飼っていた。
そこに妻がやってきた形。
だからこの子たちは私にべったり懐いている。

私が激務に晒されている中、
きらくんとまりんちゃんの散歩も、
妻が赤ちゃん2人抱えながらやってくれていた。

すごい妻だな。私は結婚は大成功だ。
妻選びはSSガチャを引いたようだ。
これは絶対に忘れないようにしよう。

休職中は、当然私がきらくんとまりんちゃんと散歩をする。
海風が気持ちいい。
この子たちも私も散歩は大好きだ。

海を見ながら、我に返ると、やっぱり不安だ。
また仕事やっていけるかな。。。

そして復職へ

2018年4月。
休職期間が終わる2週間前。

人事から呼び出しがあり面談。
電車に乗って会社に来たがどういう感想だ?(テンプレ質問らしい)とか、
どこの部署で復帰したい?とか、そういう話がメイン。

どうやら私は異動が前提みたい。そこに一安心。
パソコンの稼働ログを見て、人事も相当驚いていたらしい。

思えば、当時はちゃんと社員の労働時間を管理するという
機能が実質的に人事になかった。
そういうセーフティネットって大事。

結果、私は2か月で復帰した。
部長という肩書だったので、異動できる部署は限られる。
でも人材開発部長が退職したばかりだったので、
その後釜として復帰することになった。

この経験を経て得た教訓①

自分では、自分がどれだけ異常なのか気が付けない。
自分で自分がどのような症状なのかわからない。
というか、自分で自分の症状がわからなくなるところまで行ってしまうんだということ。
その怖さを思い知った。

メンタル疲労、メンタル疾患というのはそういう怖さをはらんでいるのではないか。
決して甘く見てはいけない。

この経験を経て得た教訓②

変なプライドで意地を張らないこと。
いつも眠かった。
体調的にきつかった。
精神的にもしんどかった。
経営企画室内に脱落者もいた。

私は、脱落したら収入が途絶えるとか、
かっこ悪いとか、
そういうプライドで支えていた面も強かった。

仕事に使命感があったわけでもなく、
意義を感じていたわけでもなく、
充実していたわけでもないのに。

むしろ不毛な作業に辟易していた。
つまらない意地を張っていた。
本当につまらない意地だった。

この経験を経て得た教訓③

無理して働いて、体を壊しても家族は喜ばない

妻は、赤ちゃん2人を抱えて一人で育児をしていた。
赤ちゃん1人でも大変なのに。
そんな環境において、私は育児面で妻を支えることもなかった。
自分のことで精いっぱいだった。余裕が無かった。
1ミリも余白がないくらい余裕が無かった。

妻は、そんな状況でも私の心配をしてくれていた。
私は、毎日12時近くなって終電で帰れないことがわかると
妻に電話していた。
ごめん、今日も帰れない、と。

妻は文句を言ったことがなかった。
妻の苦労と気遣いが身に染みる。
本当に苦労を掛けたと反省。
二度とあんな環境においてはいけない。
自分にとっての大切なものを絶対にはき違えてはいけない。

心に誓った。

FIREを目指すきっかけに

さて、そんな私がFIREを目指そうと思ったのは、この経験が元になっている。
次からは、そのことを話そう。

この話の続き
FIRE物語②:家族を路頭に迷わせないためにFIREを目指す!
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上場企業の役員。
FIREに向かって準備中。
絵本やエッセイ書いています。
家族・子ども・福祉に関する活動に残りの人生を使っていきたい。
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