更新記事:トモダチってなんだろう?
(2026.2.26)
たまに、人から「会いたい」と言われることがある。
「ちょっと話してみたかった」とか、「こんなことが相談したい」とか。
私みたいなヤツに興味を持っていただけるなら、是非お近づきになりたいし、
私が話せることなら、何でも話して力になりたいと素直に思う。
基本、引きこもりの私は、自分からあまり声をかけることはしない。
だからこそ、お声がけいただくその行動力には純粋にリスペクトしている。
お互い都合のいい場所、例えばお互いの家の中間点などで待ち合わせしましょう、と決める。
そしたら、お店を予約までしていただいたりする。
すごい気を使ってくれる。それはそれでありがたいと思う。
一方で、この前高校時代の友人と2人で飲みに行った。
安い居酒屋ってチューハイがなぜかめちゃくちゃ薄い。
ジョッキは馬鹿でかいのに。なぜ薄いのかは言うまでもない。
そもそも私はアルコールにとても弱い。
缶ビール1缶で顔が真っ赤になり、もう寝たくなるレベルなのだが、
そんな私でさえ、メガジョッキのチューハイ4杯のんでも全く赤くならない。
そんな居酒屋で飲んでて、なんかうるさいしシラけるなあということで、
友達とコンビニで缶ビール1本買って、寒空の元、公園で飲んでいた。
その方がうるさくないし、自由だし、空はキレイだし、
気の置けない仲間だからこそできることでもあるし、
フツーの缶ビールだから、下戸の私は1本で酔っぱらう。
私は、こういうほうが好きなんだけどな。公園のブランコで話すのでなんの問題もない。
この良さっていったい何なんだろうなあと考える。
もちろん、気の置けない関係だからこそできる面はあるし、
高校生当時は、部活帰りに公園の芝生で寝転んでジュース飲んでたりとか、
そんなのが当たり前になっていたので、
当時やってたことをまたやれてる気もして、それがうれしかったりもする。
分別のある大人になってから知り合った方々とは、なかなかそういうのできないのかな?
難しいことだとは思う。私だって初めての方々にはとても気を遣う。
いきなり「公園のブランコで飲みません?」とは言えない。
だんだんお互いを理解していきながら、少しずつ距離を詰めていくというのが無難だろう。
ただ、だんだん理解していくにしても、学生だったら毎日会うけど、
大人はたまにしか会わなかったりするので、その「だんだん距離を詰める」というのが難しい。
だからこそ、私はこういうヤツだよ、というのは素直にいろいろ出しておいた方が良いと思う。
そのあたりでちょうどいい距離感ができ、価値観が合う人だったら、
大人になってからでもトモダチになれるのかな?
トモダチってなんだろう?
これはとても深い問いである。
トモダチの定義も様々。
「オレってトモダチ多いんだぜ」と、名刺交換しただけの人も含めている人もいるし、
私みたいに「大人になったらトモダチはできにくいなあ」と思ってるヤツもいる。
辞書的な定義はさておき、私なりの友達を定義してみよう。
そして、大人になってもトモダチができるのか?について考察してみたい。

